「報告書ダ。受け取れ」
情報屋、興信所、探偵。呼び方は色々あるが……兎も角、調査や収集によって取り揃えた情報を売買する職業。学園とは社会の縮図の様なもの。然らば当然そう言った職業を標榜する者も存在する。
……いや、この銀誓館学園の場合、標榜所か今現在既に職業として成り立たせている者すら居る訳で、そう言う意味では、赤金茜の横に座り無地の茶封筒を差し出しているこの人物は、至って大した事のない凡夫の類と言える。
『……ま、ノウハウの一切無いわたしからすれば、充分有難いんだけどね』
差し出された封筒を受け取り、中を改めながら内心そう嘯く。目前の人物は、茜が学園に入学する前からの縁のある人物だ。
縁故が家の関係の為、学園に来るまでさして多く会っていた訳では無かったものの、それなりに気心も知れているし、頼み事もしやすい。
これで更に腕前まで求めるのは少し我侭と言うものだろう。
所は鎌倉の某所公園、人気の無い赤いベンチ。商品の受け渡し。
つまりはそう言う場面である。
「……自分で言うのも悲しいケド、大した情報は仕入れれてナイな。蜘蛛に関して流れてる噂とか、人ヅテで聞いた直の担当者の証言とか、その辺の情報の破片をオレなりにマトメただけだ。新事実とかには期待しないでくれヨ」
「あー、お気になさらず。元々そう言うのが目当てじゃないですので」
情けないと言えば余りに情けない。見ようによっては誠実な“売り手”の言葉に、茜は書類から顔も上げぬままアッサリと返す。素っ気無い事この上ない反応に、相手も思わず眉を顰め、少し情けない声を出した。
「そ、ソレはソレで落ち込むな……。大体、ナラなんで調査なんて依頼する?雀の涙とは言えちゃんと報酬まで払って」
その言葉にようやく茜が顔を上げた。頬に人差し指を当て、少し首を傾げて。
「アナタが余りに暇そうでしたもので」
ガクリ。情報屋(の卵)が力なくその場に突っ伏す。
精神面に可也の大ダメージを食らったらしい。
……まあ、情報に関しては運命予報士と言う『埒外のプロ』が居るこの学園で、齧った程度の半端な情報屋が繁盛する訳も無い。暇なのも無理からぬ話ではある。
だが、そうして沈黙の世界に旅立った知己に、
茜は朗らかな笑みを向けて更にアッサリともう一言、畳み掛ける。
「冗談です」
情報屋(を志望する学生)がガバッと顔を上げた。
性質の悪い冗談に抗議の言葉を上げようと口を開け…
…た所で、丁度それを遮る様に茜が言葉を続ける。
「話題に着いて行けなくならないように、ですよ。だから丁度こう言う基本的な情報が入用でした」
事もなげな調子でそう言い、再び書類に目を通し始める。
相手は気勢を殺がれ、少し固まっていたが、やがて溜息を吐き、
「ソー言う情報は普通、結社で集めないカ?」
「お友達と仕事のお話をするのは余り好きではありません」
即答。
「な……お、オマエな……それじゃ何の為の結社なんだ……」
「いえ、好きでなくても必要ならしますよ。必要な分だけ」
顔を上げようともしないまま続ける。
「で、こうやって前もって集めれて置けば、必要な分を更に減らせる訳です」
「……ふん。ナルホド。そりゃ小マメな事だ」
情報屋は処置なし。と言った風情で肩をすくめて見せる。
暫し、書類を改める茜をぼうっと眺めていたが、不意に思いついた様にボソリと。
「ああ後、例のモノだが、ちゃんと届けて置いたゾ」
茜が瞬時にカチリと固まる。目は真ん丸く、背筋はピシっと伸び、ついでに頭頂部で跳ねた癖毛の一束がピンと真っ直ぐ天を向いた。
暫くの間そのまま口をパクパクさせ、ゴクリと唾を飲み、搾り出すように声を出す。
「それは、それは……その、ありがとう、ございます」
情報屋、腕組み。
「と言うか。コレこそ自力で届ければ良かった気がするんダガな」
茜、ガチガチと首を振る。
「私、あの方、の、住所、知りません」
「オレに聞けば教えると言ったロ」
「そう言う事は本人に直接聞くべきです!」
茜、前のめる。
情報屋、半眼になる。
「ジャあ前もって聞いて置けよ」
「……忘れて、たん、ですよ」
茜、後じさり。
情報屋、深く溜息。
其の口調は、徐徐に説教の風情を醸し出し始めた。
「ソモソモさ、本人に直に渡せば良い話じゃあないのか?」
「……」
「直接渡して、気の利いた言葉を添えて、仲を急接近サせる」
「……」
「語源は兎も角、今ではバレンタインとはすっかりソー言うイベントだろう」
「……」
「それを匿名。匿名?匿名……今時小学生デモもうちょっと根性あるぞ」
「……」
「ソンナ調子じゃ、永遠に距離は縮まらないと思うが」
「……」
「いや、ソモソモ、ひょっとしてお前、縮める気が…
「私は。」
遮る様に。いや遮って、茜が口を開いた。
ベンチに座ったまま、顔を俯かせ、地面をねめつける様にして言葉を紡ぐ。
「私は“他への依存”と言うモノが、大嫌いです」
「…ホウ?」
こんな突然の言葉に、返せる言葉はせいぜい相槌ぐらいな物だ。
「思考を放棄し、選択を放棄し、基準を他に預け、頑迷に妄信する」
「……」
低く、呻く様に、だが際限なく紡ぎ続ける。
今度は情報屋が沈黙する番だった。
「自分が無いから他に縋り、他に縋るから自分が無くなって行く」
ギュっと、震える両手で自らの膝を握り締める。
首にかけた数珠とロザリオ。皮肉な取り合わせの祭器が揺れ、乾いた音を立てる。
「それは人形、人形です。丸で、人形。心無い、無慈悲な……」
それは誰に向かっての言葉なのか。
情報屋は、“学園に来る前の彼女”を知る知己は、口を噤んで茜を見ている。
一見すれば凡そ脈絡のない話題の転回、その真意が何となく分かっている。
そんな、目で。
「だから私は、自立した人が、好きです」
半拍、言葉に間を置く。
「自らの足で地に立つ人。一人でも歩める人」
又半拍。
「己一人で足るからこそ、気遣いができる。深い心を持てる。きっと、人を…愛せる」
半拍ではなく、暫くの間の沈黙が降りる。
それでも情報屋は口を開かず、黙って茜の言を待つ。
「翻って考えますに、何故、皆さん、思春期に、恋を、多く、為さるのでしょう?」
少し、声に笑いが含まれ出す。それは多分、自嘲。
「思春期の、心が、ホラ、不安定、だからじゃ、ないでしょうか?」
少し、声に湿りが含まれ出す。それは多分、自責。
「寄る辺が欲しいだけ、縋る者が欲しいだけ、自分以外に」
「もし、もしもそうだとしたら……」
「私は、私は、何を望んでいるのでしょうね?」
「そして私の望みが、もし、叶う、なれば、あの人は、どうなるのでしょう…?」
「私はあの人が、あの人だから……」
「なのに、私が望む事は……」
「なら、それなら、私は、今のままで……いえ、今のままの方が……」
「考え……過ぎ、ですか、ね?」
「考えすぎだと……思いますか……?」
「イイヤ?その通りなんじゃナイか?」
瞬間
空気が
凍った。
───To Be Continued───
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