ヒラリヒラリと舞い遊ぶように
姿見せたアゲハ蝶
夏の夜の真ん中 月の下
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鎌倉が封鎖特区に指定されて、未だ間もない頃の話。
其処には一つのカフェがあった。
能力者達によって運営されている、所謂ショップ系結社が。
力持てし子供達の社交性・社会性・協調性を育む為、店舗運営を推奨した在りし日の学園の方針は実際正しかったのだろう。その結社のメンバーの結束は一様に固く、彼らは日に日に荒廃して行く鎌倉の中にあくまでとどまり、変わらずカフェを続けた。
【全商品0円キャンペーン】の旗を、大々的に掲げて。
食を求め、人を求め、温もりを求め、 家を喪った者が、家族を失った者が、拠り所を失った者が、次々と集まり。その全てをカフェは受け入れた。
やがて、そのカフェは“家”となった。人々が集まり、肩を寄せ合う、皆の家。
それは、絶望に飲まれ行く鎌倉の中に残る数少ない希望の一つ。
だが勿論、“教団”がそんな存在を許す訳も無い。
* * * * *
【20XX年 封鎖特区 鎌倉】
かつて或るカフェがあった場所。
今では廃墟となってしまったその場所。
其処に、二人の女性が対峙している。
「あっれぇ?おかしいわねぇ。確かあたし、いなりちゃんと待ち合わせしてたハズなんだけど」
声を上げたのは妙齢の女性。温かい赤茶色の髪。何処と無く強い意志を感じさせる右の瞳もまた赤茶色。左目は見えない……眼帯に覆われている。
モデルの如くスタイルの良いその肢体を覆っているのは、“何処かのカフェの店員の様な”服。
いや、“店長の服”。
「どうして『 』ちゃんが居るのかしら?」
少し個性的にふっくらとした唇に軽く指先を当て、不思議そうに……それで居て、何処となく嬉しそうに首を傾げる。
それは丁度、思いも掛けず懐かしい知己に再会した時に浮かべる様な。
親愛の顔。
「“紅揚羽”様。その服、残してらっしゃったんですか?」
しかしもう一方の女の態度は素気無かった。
完全に相手の質問を無視し、上書きする様に自分の質問を浴びせる。
そんな態度にも女性……“紅揚羽”は特に気分を害した様子もなくアハハと笑い、肩をすくめた。
「まさか。アレからちょっとサイズ変わったものー。これはオーダーメイドよぅ!」
「…アレから未だ育ったんですか貴女……」
アッケラカンと返された“紅揚羽”の言葉に、少しはなじろんだ───と言うか少し戦慄した───様子のその女性は、飾り気の無い黒い戦装束を身に纏い、両手に鉤爪を着けている。
教団能力者部隊『黙示録の獣』が一人、“銅”。
「しかしオーダーメイドとは又、政府のオシゴトは給金が宜しいのですね」
鉤爪で米神を軽く掻きながら、揶揄するように言う“銅”。
意図して相手に不愉快を与えようとするかの様に。
だが、“紅揚羽”の笑顔は微塵も緩まない。
「そうでもないわよう!オーダーメイドって言っても注文先は大隊副隊長だし!」
「いや、誰に裁縫させてるんですか貴女」
思わず普通に突っ込んだ。
「白ちゃん」
即答だった。
「ああ、なるほど」
納得した。
意思疎通がスムーズに行ったのが嬉しかったのか、“銅”がかつての共通の友人の事を、ちゃんと覚えていた事に喜んだのか、或いはその両方か……“紅揚羽”は満足げに頷きつつ、自らの着ている服を指し示す。
「“此処”に来る時はこの服を着てくる事にしてるのよぅ。だってホラ、しっくり来るじゃない?」
「……」
ね?と同意を求めるように笑い掛ける“紅揚羽”に、“銅”はただ沈黙のみを返し、廃墟と化した元店内を見渡した。
破壊の爪痕。そこ等中が壊れ、砕かれ、欠けていない場所など一つも無い。
しかし、不思議と散らかってはいない。
砕かれた欠片が無い。壊された瓦礫が無い。誰かが、丁寧に片付けたかのように…
“銅”は、少し不愉快そうな溜め息を吐いた。
「それで、どうしていなりちゃんは此処に居ないのかしら?」
“銅”のそんな様子を知ってか知らずか、“紅揚羽”は同じ質問を再び向けた。
その表情はあくまで笑顔。
───同じ常の笑顔でも“宗主”とは対極だなあ。
と、そんな益体の無い事を考えながら、“銅”は口を開き、
「葛葉・いなり。役職、平たく言えば政府のエージェント。上層部より何らかの密命を受け、封鎖特区鎌倉の裏舞台にて暗躍中。全ての陣営に広く人脈を持つ」
ピっと人差し指を挙げ、丸で授業をするかの様に訥々と語りだした。
「鎌倉内での呼称は……例えば“銅”に対する際は“ヨロズ”、“紅揚羽”に対する時は“虹”、“猫”に対しては“狐”……その他多数。コレは複数の二つ名があると言う事ではなく、ただ必要に応じて使い分けている結果。言うなれば『彼のエージェントに二つ名は無く、
無い事こそが逆説的にその性質を如実に現す呼称』と言える」
辛うじて原形を保っていた椅子を立て直し、トスンと座りながら言葉を続ける。
“紅揚羽”は少し怪訝そうな顔をしたが、突然始まった“銅”の長広舌を黙って聞き続けた。
「尚、政府からかなり高いレベルまでの能力解除の権限を与えられていると推測される。敵対する際はその点を留意する事。……と、こんな所ですかね…」
「いなりちゃんのウンチクが?」
最後まで話が終わっても尚、その意図が全く掴めなかったのだろう。
“紅揚羽”は先程よりも更に戸惑いの多い顔で、首を傾げた。
「いいえ、
時間稼ぎがですよ。長い方が“ヨロズ”の捕殺が確実になりますので」
「……!」
自らの膝に肘を立て、“銅”がニタリと笑う。
瞬間、“紅揚羽”の纏う空気が変わった。
「……そう…。つまり『 』ちゃんが此処に来たのは、いなりちゃんがやられちゃうまでの間、あたしを此処に足止めする為なのねぇ?」
「いいえ?」
即座に否定。
「そんな短い間ではありませんよ」
椅子から立ち上がり、鉤爪に覆われた両手を掲る。
そして“銅”は、“紅揚羽”を───在りし日。掛け替えの無い仲間だった女性を───在りし日。共に支え合い笑い合った友を───在りし日。尊敬し、好意を抱き、憧れた。その笑顔を───
底無しの悪意の篭った、嫌らしい笑顔で見据え。
「永遠に足止めさせて頂きます」
宴の開始を、宣言した。
* * * * *
今でこそ最悪の暴君として鎌倉に君臨している“教団”だが、当時は特区に蠢く小規模勢力の一つに過ぎなかった。
つまり、今日であれば即座に大量兵力を投入し“押し潰す”であろう、『能力者の運営する店に人が集まり一つのコミューンを作り上げている』等と言う状況に対しても、初手から殲滅等と言う手段を取れる程の余裕はなかったのだ。
だから、事前に店舗の解散要求はあった。
再三の勧告を退けて後は、いわゆる地上げ的な嫌がらせの類すらもあった。
その何処かで屈してしまえば、話はまだ比較的穏便に済んだのだろう。
しかしカフェの店長は『強い』人物だったのだ。能力者としての力も、内に秘めた魂も。
だから、勧告に対しても嫌がらせに対しても、決して屈したりはしなかった。
それが逆に災いした、とも言える。
彼女は知らなかったのだ。
ソレほど親密では無かったとは言え、在りし日からの顔見知りであるその男が。
“宗主”の心が、其処まで徹底的に壊れきってしまっているとは。
カフェは、突如として大量発生した
地縛霊によって地図からその名を消した。
死傷者は3ケタを超える。
そして、一般人の非難を最優先としゴーストの群に立ち向かった能力者───つまり、カフェの店員達───の、その後の行方は……ほぼ一切が不明。
たった一人、“彼女”を除いて。
* * * * *
─── 破裂音 ───
───── 風切音 ─────
おかしい。
5合ほど打ち合った後、“銅”の脳裏に浮かぶのはただその一言だった。
“紅揚羽”は神秘型の能力者、その攻撃は衝撃波によって成される。
それは“銅”に取って多少苦手なタイプではある。『相手に隙を作り、隙を突く』事を至上とする“銅”には、攻撃のモーションの少ない攻撃ほど対処が取り難いのだから。
と言って、それは致命的と言う程ではない。
攻撃手段が何であれ、『回転動力炉』によって力を増幅している事に違いは無い。つまり必然的に、力を放つ際は動力炉のついた兵器に意識が行く事になる。その『意識の動き』を『気配』として読み、そこから隙を突けば良いのだ。
“銅”の修めた長き不断の研鑽は、それだけの事を可能としている。
だが、
─── 破裂音 ───
───── 風切音 ─────
「“紅揚羽”様。貴女……詠唱兵器は……」
「ん?ちゃぁんと使ってるわよぅ?」
詠唱兵器が見当たらない。
当人の言葉とは裏腹に、“紅揚羽”の手には何も握られては居ないのだ。
インカム?……違う。彼女の顔を飾っているのは、その左目を覆う眼帯だけである。
では蟲笛?……ソレも違う。種類にも寄るが、あれは多かれ少なかれ何らかの音を伴う筈。しかし先程から聞こえるのは、“紅揚羽”の使役する白燐蟲達の蠢く微かな音だけなのだから。
……白燐蟲。コレもまた、おかしい。
先程から彼女の使役する白燐蟲が一匹も視界に入らない。
無論、普段は使役者の体内に住むのが白燐蟲だ。戦闘中とて、別に表に出さねばならない道理はない。だが……白燐蟲が使役者の力の源であるのも又事実。
細かい戦況に対応するため、少なくとも数匹を周辺に現出させて置くのが普通ではないのか?少なくとも“銅”が『 ・ 』の名を名乗り、“紅揚羽”を『 』と呼んで慕っていたあの頃。彼女はそうやって戦っていた筈だ。
─── 破裂音 ───
“紅揚羽”の衝撃波が“銅”の身体を掠める。
ベクトルを伴う波動を放った事により、必然ほんの一瞬硬直した“紅揚羽”の身体を、“銅”の鉤爪が狙う。
───── 風切音 ─────
上体を大きく反らし、鉤爪を避けた“紅揚羽”。
体勢の崩れた今が好機と、“銅”が続けて追撃を放つべく踏み込み……次の瞬間、その顔スレスレを“紅揚羽”の長い脚が掠めた。
衝撃波を自分の足元に放ち、その反動で蹴りを放ったのだ。
そのままその場で宙返りを決め、“紅揚羽”は構えを取り直す。
「ウフフフ、『 』ちゃんてば、油断ならない戦い方する様になったわねぇ!」
「アハハ、それはこっちの台詞です」
ヘラヘラとした表情とは裏腹に、首筋に浮いた冷や汗を不快に感じながら、“銅”は“紅揚羽”の一つしかない目を睨んだ。
「……ん?」
そして『その可能性』に気づく。
……彼女の詠唱兵器が見当たらないのは、意図して隠されているからに違いあるまい。
両手は空いたまま、脚とて今蹴りに使ったばかり、つまり四肢に装備している訳ではない。
記憶を探り、“紅揚羽”の装備できる詠唱兵器の種類を反芻する。
……そう、白燐蟲を出さないのは、出せば詠唱兵器の位置がバレるからでは無いか。
そう考えれば、答えは一つ。
“紅揚羽”が装備できる詠唱兵器で、白燐蟲の所在と密接に関わる、音を伴わない品。
つまり、
───── 風切音 ─────
「………っ!」
“紅揚羽”が初めてたじろいだ。
眉をキュッと顰め、閉ざされた己の左目を抑える。
……そこから、眼帯が失われている。
「……眼帯に見せかけた蟲籠、っていう可能性も考えたんですけど……結果は矢張り、より奇なる事実でしたね」
ニタリと笑う“銅”の右の鉤爪に、引っ掛ける様にブラ下げられている眼帯。
先程の攻撃は“紅揚羽”ではなく、眼帯を狙ったものだったのだ。
そして眼帯が外れたその瞬間、彼女は見落とさなかった。
“紅揚羽”の左目が開かれていた事を。
其処から、『燐光』が漏れていた事を。
「貴女の詠唱兵器は……その、空洞と化した左の
眼窩」
“紅揚羽”が、あちゃあと言う顔で苦笑した。
「それそのものが蟲籠なのですね」
『生体埋め込み型詠唱兵器』
煉獄と化した鎌倉内ならいざ知らず、“紅揚羽”の所属は政府軍。
“本国”の技術力……“教団”ですら足元にも及ぶまい。
詠唱兵器の所持に気づかれない。位置を掴ませない。
生き馬の目を抜くこの鎌倉の中で、その有用性がどれほどの物か。
此処で殊更に語る必要もあるまい。
「…ですが、ネタが割れてしまえば、何とでもなるのですよっ!」
突撃。
それまで気味防戦気味だった“銅”が一転、攻勢に出る。
そう、何処にどの様に回転動力炉が仕込まれているにせよ、左目自体が詠唱兵器…『力の増幅器』なのだと分かってしまえば、後は簡単。今までは表情の変化に紛れて気づけなかったが、力を放とうとする度、“紅揚羽”の意識は左目に行っている筈。
つまり、表情筋が動く。ソレを追えば……
『……其処だ!!』
果たしてその時、“紅揚羽”の左目周辺に緊張が走った。
その瞬間を逃す“銅”では無い。
身体の向きを90度変え、一気に沈める。……実際には射程から外れ切ってはいないのだが、対象が視界から『消えかけた』事で、“紅揚羽”の目線が一瞬だけ泳ぐ。
その『間』に、“銅”は“紅揚羽”に脚払いを…
…かけようとした瞬間。逆に脚払いをかけられ体勢を崩した。
「…っ!?」
焦りを突かれた。
この“銅”が!逆に隙を突かれた!!
錯乱しそうになる心を必死に押さえ込み、歯噛みと共にソレを認める。
最初から衝撃波を放つ積もりなど無かったのだ。ただ、左目に、一瞬にも満たないコンマ単位の意識を向けただけ。……たったそれだけの『誘い』に引っ掛かり、“銅”は突撃をかけてしまった。
ガラ空きの足元を晒して。
『勝ちを奪うその瞬間こそが負け時』
苦戦の中に活路を見出し、思わず気が急いたなど言い訳にもならない。
完全に“銅”が自らのお株を奪われる形で、この駆け引きの趨勢は決した。
「…くっ!」
見上げれば笑顔。
悪戯が成功した童女の様に、無邪気な笑顔。
そして“紅揚羽”は右腕を伸ばす。“銅”の額に向けて。
この至近距離で衝撃波を叩き込まれれば、絶対にただでは済まない。
“銅”は必死に体勢を戻そうと足掻く。
そしてせめて相打ちにと、鉤爪を真っ直ぐに突き込んだ。
“紅揚羽”の心の臓に向けて。
しかし、
『間に合わない…』
“紅揚羽”の右腕が格段に早い。
鉤爪が彼女の胸に到達する前に、余裕を持って“紅揚羽”は衝撃波を放つだろう。
そして“銅”は急所である頭部を撃ち抜かれ、吹っ飛ぶ。
美女の指が、凶女の額に触れ…
─── ピンッ ───
そして“紅揚羽”は、“銅”に、
デコピンをした。
「…っ!?」
先程以上の動揺を顔いっぱいに湛え、唖然と見上げる“銅”の視線の先。
見上げれば笑顔。
“銅”がもう捨てた筈の、在りし日の記憶に残る懐かしい笑顔。
泣きたくなるほど輝かしい、あの日のままのその笑顔。
かつて『赤金・茜』と言う名の少女が憧れた笑顔。
優しく、力強く全てを照らす、太陽の笑顔。
からかう様に、励ますように、問いかける様に、ただ笑い掛けてくる。
今正に己が心臓を狙い、鉤爪の着いた手刀を放っている自分に。
『さあ、どうする?茜ちゃん』
「───────!!!!!」
“銅”は、その『問い』にどう答えようとしたのだろう。
或いは答える事等出来ず、錯乱の中思考を止めていたのだろうか。
ソレは誰にも分からない。
何故なら、渾身の力で放たれた手刀は、
今更どうやった所で止まりはしないのだから。
呆気なく、鉤爪が“紅揚羽”の心臓を刺し貫いた。
* * * * *
【レギオンの部分的分割と誘導による戦略運用に関する実験レポート】
P,89 『総括』
無理。
無理無理無理。絶対無理全く無理チットモ無理。
っつーかソモソモの要求がメチャクチャなんだよ。『核』とのリンクを維持したまんまチョン切るダケでも一苦労だってノニ、その上制御シロだ?馬鹿か!?バッカじゃネーのオマエ!もしくはアホか!!ムリったらムリ。ゴジマンのゴールデンハンマーで脅したって無理なモンは無理!研究費と研究員の無駄。事故で死んだ奴の命も無駄。オメーはそんなの気にシネーだろーケド、気にしなくたって無駄は無駄でロスはロスなんダヨ!下働きだってポンポン殺しテタラそのうち補充が利かなくなるゾ。オマエそれ分かってんのか?分かってネーってそやって怒って又殺ってくノカ!?イイカゲンにしろこの癇癪大王。エンガチョすんゾ。
…一応追記してオクとだ。今回マガリナリにも『目標地点までの誘導』に成功したのは、例の『特攻服』があったカラだ。客の忘れ物のフリしてさり気なーく置いて帰ったあのオットコマエな上着だけが、“レギオンベビー”達の興味を惹いた、猛烈にナ。……その特攻服はどうなったカッテ?食われちまったヨ!今じゃレギオンのパーツの一つだ。もー使エやシネーもんねザマー見ろ!
……まあツマリだ。『 ・ 』の愛用の品が他にもアルなら、その数と同じ回数だけは『寄せ餌』を使っての戦略運用が可能ダって事ナ。モットモその場合、作戦が終了したらホッポり出して好き勝手暴れさせといて、本体に自然に再結合するのを待つしかねーケド。
ア、それカラ言っとくケド『寄せ餌』の再利用は無理だからナ?『見せるだけ見せておいて食わせない』何テ事したらオメー、間違いなく“レギオン”本体が暴走するゼ。アイツが食い意地張ってるのは、お前だってヨック知ってっダロ?アキラメナ。
以上、三徹明けのオレはコレから一週間寝ル。起こしたら死刑。分かんない事がアッタ時は自分で考エロ。絶対起こすなヨ!?もし起こしたらオメー、ソッチのメインコンピュタークラックして児童ポルノ画像100万枚保存すっからナ?
レギオン・第三研究室主任 ■■・■■■
* * * * *
“ヨロズ”の捕殺を暗に宣言した“銅”の言葉は、実を言えば大嘘である。
他ならぬ“銅”自身の言葉通り、『葛葉いなり』は“紅揚羽”と同じ政府の所属であると同時に、鎌倉内の全ての陣営と繋がりを持った、情報戦上の『重要人物』の一人。
決して安易に手を出して良い相手ではないのだ。
実際には、“教団”が事前に『葛葉いなりが或る男との邂逅により、“紅揚羽”との待ち合わせに遅れるであろう』と言う情報を掴み、その時間差を利用するべく“銅”を送り込んだ。と言うのが真実である。
つまり、“教団”の狙いは最初から“紅揚羽”一人だったのだ。
「あら、遅かったですね。葛葉様」
惨状。
葛葉いなりが辿り着いた時、カフェの様相を表現する言葉は他に無かった。
血
血
血
店内が夥しい量の血で染まっている。
とてもたった一人の身体から出たモノだとは、俄かには信じられない量。
しかし人一人の中身を全て搾り出せば、コレ位の『塗り絵』はこなせる事も又、事実。
少なくとも、葛葉いなりはソレを知っている。
……逆説的に、コレだけの『塗り絵』を為した血の持ち主が通常、どうなるかも。
それでも、『千年女優』は動揺を見せない。彼女の心の揺れはそんなに安値ではない。
返り血で真っ赤となった“銅”に、ヘラリと笑いかける。
「…あんたにその名で呼ばれるんは久しぶりやな」
「ああ、そうですね。ウッカリしていました。“ヨロズ”様」
“銅”はアッサリと言い直した。
葛葉いなりはそんな“銅”から視線を少し反らし、床に転がった“ソレ”を見る。
ズタズタだった。
『特に顔が重点的やね……なんや“見とう無い表情”でもしとったんやろか?』
そんな、益体も無い事を考えながら、再び顔を上げる。
視線の先には、返り血で真っ赤の“銅”。
いなりの視線をニヤニヤとした顔で受け止め、楽しげに言う。
「ご覧の通りです。貴女がグズグズしている間にこの人、死んじゃいましたよ」
アハハハと、“銅”の口から笑い声がこぼれた。
堪え切れなかったのだろう。
「…殺したんやね?」
笑みとも、真顔ともつかない曖昧な表情で、いなりは何かを確認するかの様に問う。
「ええ、心臓を刺して抉って切り裂いて、殺しました」
アッサリと肯定。
“銅”は普段『壊す』と言う言葉を好んで使う。ハッキリと『殺す』、『殺した』と言う事は少ない。
それにどう言った意図があるのかは分からない。だが一つ言えるのは、彼女が、“銅”が、『“紅揚羽”を殺した』と、今ハッキリと宣言したと言う事。
かつて慕った者の血に塗れ、哂う“銅”。
いなりは……顔を伏せ、目を反らし、少しの間小刻みに震え。
そして、
堪え切れずに吹き出した。
「心臓を抉った?それだけなん?」
「は……い?」
思っても見ないその言葉に、“銅”の表情が強張る。
殺戮者は思わず、ダラリと下ろしていた手を上げ、いなりに向け鉤爪を構えた。
本来殺す予定の無い相手だが、何か、嫌な予感がする……
しかし、いなりは向けられた凶器を気にする様子も見せず、まあ一応とでも言う様にノンビリと詠唱銃を構えると、更に理解できない事を言った。
「悪いけど一応同僚やよって、2対1。あんたに勝ち目はありまへんえ?大人しゅう手を引いた方が身のタメやわ」
“銅”の眉がキリリと上がる。
「何を妙な事を……今この場に居るのはもう、私と貴女だけ…
「そう思うんやったら早う
最後までヤるべきやね。モタモタしてはると、
殺したはずのお人がよみがえってまいますえ?」
「は…………い?」
余りにも意味不明すぎる。
そう、絶句した“銅”の視界の端を、
紅い影が掠めた。
「っ?」
─── ヒラリ ───
─── ヒラリ ─── ヒラリ ───
何時の間に現れたのか。
廃屋と化したカフェの中を、紅い蝶が舞っている。
「……白…燐……蟲…?」
思わずそう口にはしたモノの、それが間違いである事は“銅”にも分かっていた。
白燐蟲は、白いからこそ“白燐”蟲なのだから。
この蝶は
紅い。
─── ヒラリ ─── ヒラリ ───
─── ヒラリ ───
“あーあ、一張羅がズタズタだわー。酷いわよぅ『 』ちゃん、また白ちゃんに繕って貰わなきゃならないじゃない”
聞こえる筈の無い声が、聞こえた。
それに愕然とする間も与えず、次の瞬間。
── ヒラリ ── ヒラリ ── ヒラリ ──
「ッ!?」
─── ヒラリ ───
── ヒラリ ─── ヒラリ ─ ヒラリ ─ ヒラリ ─ ヒラリ ───
─ ヒラリ ─ ヒラリ ─ ヒラリ ─
─── ヒラリ ─ ヒラリ ─── ヒラリ ─ ヒラリ ──
突然、舞踊る様に姿を見せたのは、夥しい数の蝶の群。
血の様に紅い色をしたアゲハ蝶。
“紅揚羽”
「心臓を刺した?顔を刻んだ?」
クスクスと言う笑いと共に紡がれるいなりの声が響く中。揚羽蝶達は自在に飛び交い、其処彼処に止まっては飛び立ちを繰り返している。舞い遊ぶように。
……いいや、それは少し違う、カレらの飛び立った後を良く見れば……
其処から血の染みが綺麗に消えている。
回収しているのだ。“紅揚羽”の体液を。“紅揚羽”の肉体を。
「そこいらの蟲使いと一緒にせん方がええ。そんなモンやったら彼女は死なへん」
やがて蝶達は、“紅揚羽”の遺体……いや、“紅揚羽”の身体に集う。
正確には、淡く紅い燐光を放つ、
その左の眼窩に。
「何で、今でも鎌倉で語り継がれ取るあの“レギオンベビー”の襲撃ん中で、その中心におった筈の彼女が生きとったと思う?……違うんやわ。
生きとったんやない、死ねんかったんよ」
白燐蟲の異常進化。
宿主を守る為、主を生かす為、蟲達が生した埒外の変異。
それは、
世界結界が崩壊し未だ間もなかった頃の、より不安定なシルバーレインの影響か。
或いは彼女自身の中にその才が、“それ”に相応しい性質があったのか。
もしかしたらソレは……荒廃した鎌倉の中。それでも力強く生きようとしたにも関わらず。余りにも理不尽に、一方的に食い尽くされた“カフェ”そのものの……
……いや、止めよう。これ以上は他ならぬ“彼女”が許さない。
何故ならば、彼女はカフェが食い尽くされた等とは思っていないから。
彼女は今も尚、『このカフェの店長』なのだから。
そして“彼女”は何事も無かったかの様に立ち上がる。
紅く輝く左の眼窩以外、何一つ傷の無い身体で。
「死ねぬ者、“紅揚羽”」
いなりの、その言葉を肯定する様に
“紅揚羽”は笑った。
「……ぁ、ぁ……ぁぁ……」
激しい上下にした感情と状況に、軽く錯乱を起こしているのだろう。
“銅”は喘ぐ様に、呻く様に口を開閉させている。
「………ぁ………ぁ……ぁあ」
……その喘ぎも徐々に小さくなって行き……そして…
「あはははははははははははは!!」
爆笑へと転化した。
愉快そうに。
楽しそうに。
嬉しそうに。
“紅揚羽”を凝視しながら、“銅”は一頻り笑い続ける。
「あははは!これは参りました。コレはどーしようもない!流石に今の状況じゃ殺し切れませんね!!」
未だ笑み崩れる己の頬を、鉤爪の裏でピシャリと叩き。
シュタっとおちゃらけた仕草で敬礼。
「帰ります」
何でも無い事の様にそう宣言し、ジリジリと彷徨う様に後退りを始めた。
そしてガラスの無い窓の前に立つと、自分の胸に掌を当て……
「次は殺しますから」
“牙道砲”
その身体は木の葉の様に軽々と吹っ飛び、カフェの外に飛び出した。
アビリティを自分に叩き込み、逃走の為の距離を稼いだのだ。
ダメージも決して低くない筈。だが彼方に転がり倒れた“銅”は、痛みにのたうつ事も無く即座に立ち上がり、そのまま一目散に走り去る。
何とも豪快極まる逃走であった。
「……あの子もたいがい滅茶苦茶しはるなあ…」
いなりは、あっという間に遠くなる影を見送りながら、呆れた様にぼやき。
同意を求める様に“紅揚羽”の方を見て、
「まったねー!『茜』ちゃーん!!」
窓から身を乗り出して元気良く手を振るその様子に、思わずすっ転んだ。
「あ、あんたなあ……」
いよいよ呆れ返るいなりを気にする様子も無く、“紅揚羽”は“銅”の姿が完全に見えなくなるまで手を振り続け……手を下ろしながら、少し寂しそうな、そして心配そうな溜息をつく。
今さっき自分を本気で殺そうとした相手に対する、封鎖大隊隊員のそんな態度を前に、さしもの葛葉いなりにも言うべき言葉が無い。
倣う様に己も深い溜息を一つだけ吐き、当初の用事を済ませるべく“紅揚羽”の背に声をかけた。
「…ま、ええわ。飛び入りゲストも帰ってもーた事やし、当初の予定通り情報の交か……
「私もね、いなりちゃん」
だが、“紅揚羽”の言葉が遮った。思わずキョトンとするいなり。
話の腰をペキリと折った“紅揚羽”は、自分の頬を軽く叩きながら言葉を続ける。
「流石にちょっと、そろそろお肌の手入れとか心配な年頃なのよぅ」
「……はぁ!?」
張りがねー、等と気楽な様子で嘆いて見せる“紅揚羽”に、いなりは軽く絶句した。
しかし“紅揚羽”は先程と同じく、相手のそんな反応を意に介しする様子も無く、戦いの爪跡の残るカフェの中、歩を進めながら『お肌の手入れ』について熱く語り続け……
戦いの直前に“銅”が座っていた椅子。その目の前で丁度立ち止まる。
「何時までもあると思うな親と若さ。って事よねー」
そして、芝居っけたっぷりの仕草で首をフルフルと振ると、
カフェの物ではないその椅子を睨み、こう言った。
「けど、自分の店の備品を忘れるほど老けたりしてないわ」
─── 破裂音 ───
* * * * *
“教団”の最奥。
ほぼ無灯の暗室の中。
唯一光を放っているモニターの前。
今はもうノイズが走り続けるだけの画面に向かい。
最後の一瞬、画面に映った“紅揚羽”の顔を、
“彼”以外には誰にも決して向けないだろうその表情を、
怒りと、悲しみと、そして決意に満ちたその眼光を思い返しながら。
“宗主”は、鮫の様に笑った。
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